はじめにまとめ
日本中世で密教で暗い背景(色のことではなく)、渋い役者とくれば涎もバケツいっぱいてとこです。わたしのツボだらけ映画…。いやぁ、まってればこんなんも出てくるのね。キャラクター、設定、小物、小道具、時代背景などあらゆる部分でオタク的に楽しめる要素がもりだくさんだったよね。情報量が実はものすごく多くて、1回目見たときは「長過ぎる映画だな、無駄が多いな。」なんて思ってたんですが、回を重ねて見るごとに細部にやたら目がいってしまって、2回目、3回目と見るごとに、上映時間が短く感じられるようになっていったですよ。監督のこだわりの強さを、ほんと感じます。今までにもこの時代や設定を撮った人はいろいろいたでしょうが、ここまで細部にこだわった人はあまりいないのじゃないかな。いろいろ見てないから判らないけど。まぁ、映画にここまでする必要はないということあるかもだけど、こだわりの強さが見えるところに監督の個人的な主張を感じて、どんどん気持ちよくなったですよ。基本的に映画は作り手の趣味で思いきり突っ走って観客がついてこれないくらいのほうが(わたしは)気持ちがいい。監督の「いやぁ、収まらなくて困っちゃったよ。」っていうような声が聞こえてきそうです。だってまだネタ持ってそうなんだもの。ところで、監督想像してたより10歳くらい若くてびっくりした。いや、作品を見たこともなかったし(写真も初めて見たし)、なんとなくそんくらいのトシかななんて勝手に想像してたんだけど。いやでも、+10歳だったらこんな映画はフツー造れんわ。
脚本
しきしまの日本(やまと)の国は言霊(コトダマ)の さきはふ国ぞま 幸(さき)くありこそ
うろ覚えなんで間違ってるかも知れませんが、言霊の国、日本を語った有名なうたです。う~ん美しいねェ。日本は言霊の生きる国、五条でも途中で弁慶が言霊の呪文を遮那王に浴びせていた。
「この剣(鬼斬丸)でおまえは死ぬ」
それほどに言葉というのは力を持つもので、ときにはその力の強さが邪魔になったりもする。今回一番最悪だったのは脚本。いえ、ほんの数カ所の台詞が邪魔なだけだけど、まるで「七人の侍」のラストの「勝ったのは百姓だった」みたいに、それひとつで全てをぶち壊しにかかるような台詞が、作品のできのよさのわりに多かったような気がする。とくに、アフレコで後からいかにも追加したようなあたりはぜーんぶ(でもないけど)いらぬ!しかも、決めるべきところのシーンでなんでああいった台詞を入れるのか。
「決戦の場所は何処で。」
「決まっておろう。鬼に相応しい場所だ。」
他にもいろいろいらん台詞があったんだけど、その中に「鬼」という単語の入るものが多かった。それだけ鬼にこだわりたかった監督の気持ちが伝わってもくるけど、多用するとかえって重みがなくなる。想像する余地に、作品を楽しませる力があると思う。その余地に不安を感じて言葉で表現すると必ず失敗するし、作品を見る者のことを考えてしまう作者が最も陥りやすいところであるとも思う。「判る人に判ればいいよ」っていう自信がもう少し欲しかったな。まぁ、プロデューサー等の意向ってのもあったかもしんないけどね。そのへんは、ほかの石井作品を見てないんで判らんわ…。