遮那王
いや~、いーっすね!なんかねー監督も周囲もくどく鬼鬼いってたけど、そう鬼といわなくてもいいじゃんてくらい鬼(業)のかたまりのような人で良かった。何故ああいう人間になってしまったかなんてことをいろいろと想像したりしてしまうけど、要するにほかにやることなかったからじゃん、とか、まーあいつにとっては人を斬ることなんて娯楽の一種かななんて考えたり。ひどいかもしんないけど、そのくらいの陰鬱さとクールさというか、奇形した人格がすべてに現れていたと思う。それを救えるのは恵仁上人だけだったんだけど、運命の流れの悪さで斬ることになってしまう。斬った後の「あ…まちがえちゃった」って感じの顔とか良かったです。もう何をやってもつまらん人生で、刀を合わせても自分の相手になるやつはいないし、周りはみんな自分に期待しているし、多分、かなりつまらなかったんだろうけど、ずっとそんなふうに生きてたから、何かを変えるとかそんな気概もなく、人生ってこんなもの、って感じだ。そこへ、何だか心を騒がせる弁慶が現れ「あ、楽しいな」って、つい浮き足立ってしまった。それが収まらないうちに恵仁上人。ショックの連続が続けば判断も間違うだろうし、間違ったあとのフォローの仕方なんて誰も教えてくれなかったから、仏を切りまくるという混乱ぶりだ。残された道といえば弁慶と心置きなく斬り合うこと。勝てばよし勝たずもよし、負けるつもりはなかっただろうけれど、死んでもいいとは無意識に思っていたことだろう。ところで、時代の「鬼」として名をはせた人物はそう多くはないと思うが、もしも遮那王が弁慶と出遇わずに、奥州へと無事出立を果たしていたのなら、義経は信長のように歴史に名を残す鬼となっていたかもしれない。ロマンだ。
これまでの遮那王とか
遮那王というより義経というより、牛若丸として記憶にある人です。ようするに子供の頃に聞いたおとぎ話が一番の印象に残る人物だったんだけど、いや、かっこよくてね!年端もゆかぬ少年が、千人斬りと恐れられた豪傑をひらりとかわしてやっつけちゃったんですよ。うわーすてきー、ですよ。それと、鞍馬山で天狗からの修行を受けたっていう伝説にときめきますね。浅野=遮那王より国芳の「牛若鞍馬修業」にロマンを感じます。そして弁慶だけど、どう見ても自分より非力に見える少年にこてんぱにされちゃって、きっと根が単純な人であろう、すっかり心服しカリスマ的に牛若をあがめる、そんなふうな記憶。実はこの時代は、源平よりその周辺の、五条でいうなら無宿人たちとか坊主たちのほうがわし的にはまったく面白いので、さりとて注目したこともなかった。このあと源平モノの本買いにいったりとかしてたら笑うなぁ。
浅野忠信
演じ方として今回文句が出てこないキャラクターでした。いや、浅野くんすごい。実は浅野くんというとこれまで注目度がものすご低くて、「プリンタのCMの人」といわれて、ああそういえばと思い出すほど。最初はCM以外の出演作なんて見たことないよーとかのたまってたんだけど、ありました。しかも、映画出演第1作目「バタアシ金魚」。これも好きな映画なんで、実は2、3回は見てるんだけど、「あ、あの筒井くんがライバル視する水泳部の…」「それは東幹久」などとつっこまれるほど記憶がありません!あーいう顔が出てたことは記憶にあるんだけどな…。それはともかく、おさえまくった表情が良かったし笑えたし、やっぱり阿闍梨を殺したあとの表情が生きていて大変よろしかったです。かといって今後注目したい俳優でもないのは、やはりわしの好みのタイプじゃないからじゃん。