先日旧TwitterことXが、X上の画像に対して誰もが簡単にAI改変して気軽に再投稿できる機能を搭載したということで物議をかもしています。追って改変再投稿によるその投稿者の違法性等については責任もちませんという規約があるらしいという話を聞いて、グローバル企業・サービスだけに各国で法的な権利定義が違うんだもん整備できるもんかっていう丸投げについてはまぁワカルと思いつつも、だったらそんなめんどくさい機能だすの止めたら…とは思っています。
あたくし自身はものすごく底辺ではありつつも少なく見積もっても20年以上IT・IT関連業界・職業、いわゆる技術者として従事しているわけで、多少なり新機能の公開に至った経緯は想像しやすいかと思っています(想像だから真実じゃないですよ)。そんな、世間に出したらめんどくさそうな新機能、なんで出すの?ってことです。
すごく簡単な語でいうと自己顕示欲とか無邪気さですよね。「見てー!こんなことできちゃった見てみてーーー!!!!!」ていうやつです。少なからず自分にも過去にそんなかんじの経験があって、IT技術大国といわれる米国エンジニアが作った不具合をいつまでも直せないので仕方ないから独自に調べて「ここが問題やで」って修正したうえにいかに愚鈍なミスがあったか資料作成までして本国へ報告したことが何度かあるんですが(アメリカにはそのくらいやらんといかん)、程度や次元の差はあれどあのときと同じ気持ちだったんだなって想像することはできるんです。もっと簡単な語でいうと「ドヤァ」です。
こう書くとわいが他人のぽかを糾弾するクソみたいですが、システムエンジニアの世界は基本こういうものなので誤解しないでほしい(全部が全部ではない)。ちなみに、あとの話にもつながるので言っておくと、バグを出すこと自体はたいして個人を責めない世界であることも補足しておく。ただし原因ははっきりさせないと同じ間違いを犯すじゃないっていう優しい世界でできている。
自己顕示欲がちょっと言い過ぎたんで柔らかめに訂正するんですが(原稿を修正するべきか)、ちょっと優れたコードが書けちゃったんで見てもらいたい、知ってもらいたいということですね。各種の政治的思惑等を除外するのであれば、実働の技術部隊にあった件のXの新機能についてはそういうものが発端かもしれないな、などとちょっと想像してしまうのです。
実は、イーロンに買われる以前の数年間、Twitterだったころにもよくあった新機能搭載!⇒ブーイングの流れのときから、技術者もやるべきことがなくて困ってるんじゃないのかななどと想像をふくらませていました。今現在必要な機能でもないのに、ライバルのSNSが盛り上がってると聞いて経営陣が技術者たちに「目新しい機能を急いでなんかつけろ」と降すわけですわ。システムやサービスは利用者の変化、つまり需要に合わせて変えていく必要はあれども、ある程度サービスが充実したら利用者の要望がでてこなくなるのはそれで満足してるんだから当然だと思うんですが、何故か経営陣からバージョンアップしろ!ユーザーのために!(真実は、もっとユーザーに金を落とさせるために!)という激が飛んでくるんで、ちょっとかわいそうと思うんですよねああいうところで従事している技術者のみなさん。それで、やれっていわれたから苦労してひりだした新機能をドヤって搭載するとクソ機能っていわれるんですよ。これは低レベル技術者の自分としても気の毒すぎて同情を禁じえません。
まぁそれ以外にも新しい技術や試みって、実際に公開してみないとそのあとの進歩には繋がらないんで、需要置いといて新しいものができたら出すっていうのはある程度しかたないのかなって思ってます。でもこれって技術者の論理なんで、周りからすると勝手にやってこっちに負担のせてんじゃねーよとなります。このあたりは、ユーザーにバグ探しさせてんじゃねーよっていう批判と似ています。
そして、最近AIで思い出すのは「Web2.0」というブームです。本義的なものはともかくとして胡散臭いものがこのことばの流行に乗ってあれやこれやしたばかりに、本来は革命や刷新を意味する表現だったはずの「2.0」自体が、胡散臭いものとしてのラベル付けされてしまうという顛末でした。
昨今のAIブームがそれにだいぶ近しい雰囲気を感じていて、なんでもかんでもAIでお祭り騒ぎをするもんだから、逆にこちらは「すん…」としてしまうしかないんですよね。自分がAIに対して冷静(冷徹でもいいけど)なのは、そんな過去の出来事に思いを馳せてしまうからであって、自分自身も絵描きではあるけど、イラスト関連のAIアレルギー方面にわりかし鈍感なのは先に過ぎるものが異なっているせいかなとも思っています。
AIラーニングについて他者の著作権という権利をあまくみているという言説には同意なのはもちろんの話。IT技術者と絵を描く人のあいだでの共有に対する根底認識が異なっているための悲劇だなとは思っている。
つべでこないだおすすめされた動画サムネを見てちょっとげんなりしたんですが、日本は乗り遅れてる!!大変だ!!てゆってて(動画は見てません)、あ、これ2.0のときと同じ騒がれ方。ていう感想しかなかったですね。「日本AI遅れてるマン」な人はそれが飯のタネだったりポジショントークだったりがあってそう発言してると思うんで、そういう(メディアにでてくる)人たちの話を真面目に聞いちゃいかんと思いますよね。なお、真摯に警鐘を鳴らしている人もいると思いますけど、そうじゃない人が多いのも現実なのでめげずに主張を頑張っていただきたいです。
IT関連についてはアメリカの思想が多く絡んで発展しているし、そもそも日本人にも向いてないんで、IT技術については他国のサービスに乗るか、日本流のアレンジを頑張るかすればいいだけじゃないですかね。もしくはきっぱりとIT以外に伸ばせるものとか特化できるものを探したほうがいいんじゃないかな…と底辺技術者のはしくれである個人として思います。
最近の若いエンジニアがなんていってるか知ってます?「バグが怖いから、プログラムの実行したくない」ですよ?じゃあなんでプログラムしたんじゃい。極端な反応かもしれないけど、こういったニュアンスの失敗を恐れる日本風土(菊と刀からさらに進化しておるよな)で、優れたIT技術やITサービスがだせるはずないやん。先の個人経験に例示したように少しはアメリカ様を見習って、何度もジャップに指摘されることに凝りもせず不具合を頻発してみろって思うんですよね。そして一番肝心なのは、そのミスを許す寛容な社会です。
結論。日本人は心が狭い。


