辞書の軽視はネット時代の弊害なのか?

辞書の軽視はネット時代の弊害なのか?

SNSとかこんなサイトとかだとフザけた雰囲気でいたいのでわざと乱れた日本語を書いてたりもするわけですが、とくにTwitterだと個人的にはサービス開始当初の「つぶやき・ひとりごと」のつもりなんで推敲せずに誤字ありありでぶっこむわけですよ。訂正もあんまりしないし。
なんか、そういうわたくしの事情を察してから以下お読みくださいませ。つまりひどい文章です。

最近なろう系の小説を好んで読んでるらしい友達もいってたんですが、そこそこ読者ついてて人気の作家が単語や意味を間違えて使いまくってるのにもにょると。まぁそうですね。判ってる人は「なにいってんのこいつ」で済むけどそうでない子はそういうもので間違って覚えてしまうからね。

ことばが生き物なのは知ってるんですけど、間違ったままそっちがスタンダードになってしまうのは元々本来の意味で使ってた者からすると会話が周りに正しく通じなくて困ったりすることもあるんですよね。

判りやすい例では「エゴサ」。これ間違って使ってる人は指摘されながら減りつつもあるようなんですが、一部年齢層というか知識レベル同じで固まってる界隈だと未だにはびこっているご様子。元の意味の「自分を検索する」が「自分で検索する」になってて、もとがもとの意味だけに間違って伝わると微妙になるケースじゃないかと思います。駆逐したい。

単語そのものの意味の取り扱い間違いでいうと、ガンダムとかちょっとミリタリっぽいもの踏んでたりするとよく出てきて訂正印押したくなるのが「軍属」。軍人と軍属は違うものなんですけど、ていうのを知らない人は実はすごく多くて、同人小説でがんがん訂正印出動するのは判るんだけど(とくにBLはな)、最近テレビでやってるアニメ作品とかでも軍人と軍属をいっしょくたにした脚本がでてくるんでなんかもうそれだけは莫迦?と思いますよねほんとに。おまえら仮にもことばを扱うプロだろうが。

知らないのはしょうがないとしても、辞書くらい引かないのかなぁと思うんですよ。とくに小説だの脚本だの、文章を取り扱う人は黒白問わずにさ。
今どきはネット辞書がおもいくそ便利じゃないですか。類語対義語なんかもすぐ調べられるし。昔みたいに本で引くほど時間はかからないわけですよ。Twitterやインスタでは検索するのに、辞書では検索しないってどういうことなのか。

日本は「恥の文化」などとよくいいますけれども、間違って恥ずかしいという意識がどんどん薄れてきてはいるのかなぁとは思いますよね。よいことであるようにも思うけれども、ある程度恥ずかしい意識というか自尊心的なものは保持してないと、行く先はほんとにただの莫迦ですからね。気をつけましょう。

なんて、BBAからすると思うんだけど、こんなに便利なのに、素人の底上げもできてないというか、プロになってもおまそのレベル…ということがあるんで、道具ってやっぱり使える頭がまずないとだめなのねって辛辣なことを思う今日この頃です。

いやまじで、日本語の取り扱いくらいは見てるほうが恥ずかしくならないくらいには勉強してほしいと思っております。

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